大阪地方裁判所 平成元年(わ)4789号 判決 1990年11月13日
主文
被告人を禁錮一年に処する。
この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、大阪府<住所略>所在の、同人の妻Aらが現に住居に使用する木造カラーベスト葺きラスモルタル塗り二階建共同住宅である豊マンション(延べ面積約四〇〇平方メートル、一二世帯入居)一階東側から四室目に妻及び子二名とともに居住していたものであるが、昭和六二年一〇月一三日午後八時すぎころ、右居室裏コンクリート土間(面積約3.5平方メートル)において、エンジンオイル用四リットル缶に入れていたガソリン約3.5リットルを容量二〇リットルのポリタンク(ガソリン約一五ないし一六リットル入り)に移し替えようとした際、ガソリンはたやすく引火する危険物である上、右土間は周囲をブロック塀及び右自宅外壁で囲まれた風通しの悪い場所であり、右土間内の被告人から約1.5メートルの所にはガス風呂の焚き口ガスバーナーがあって種火が点火しており、ガソリンを移し替えようとした地点は、右木造共同住宅の一室である自己の居室内奥洗面所の北方約五〇センチメートル前後のところで、東側に浴室、西側に隣室との壁があり、上方は二階ベランダが庇のように張り出しており、土間の周囲は前記状況で北側ブロック塀上には鉄格子の忍び返しがあり、その北側は他の建物が接しており、東側及び西側は隣室であり、右ガソリン入りポリタンク等に引火した場合には、ポリタンクを洗面所から各室を通って南側玄関に持ち出して投棄する以外、安全に処分する方法がない場所であること、更に、当時被告人の妻A(当時二九歳)、同長男B(当時三歳)、同次男C(当時一歳)が右浴室内において入浴中で、浴室への出入は、右土間から一メートル以内にある右洗面所に面したドア以外からできないこと、玄関先にガソリン類の入れ替えのために携帯用ビニールポンプがあることをそれぞれ認識していたのであるから、同所でガソリンを流出等させると、引火して右共同住宅を焼燬し、ひいては右妻子らを右浴室内から脱出不可能ならしめて死傷に至すおそれがあり、これを予見するとともに、前記携帯用ビニールポンプを持ってきてガソリンを流出等させないよう入れ替えるなど引火を防止するための万全の措置を講ずべき注意義務があるのにこれを怠り、引火する危険はないものと軽信し、漫然同所において、右ポリタンクに右四リットル缶のガソリンを注入口から注入口へ直接注入しかけたところうまくいかず、一部のガソリンを右土間上に流出させ、次に右ポリタンクの注入口の蛇腹様のものを取り除いて同様の方法で注入しようとしたがやはり一部のガソリンを右土間に流出させたため、続いて、右四リットル缶をさかさまにして右四リットル缶の注入口と右ポリタンクの注入口を直接合わせて、中のガソリンを一気に移し替えようとした重大な過失により、さらにより多量のガソリンを右土間上に流出させ、これに燃焼中の右ガス風呂の焚き口の種火の火を引火させ、さらには右ポリタンク内のガソリンにも引火させたため、右ポリタンクを屋外に持ち出そうとして玄関方向に運搬中、火が自己の右腕等に燃え移り、このため右ポリタンクを自室奥六畳間に投げ出し、同所カーペット、畳等に燃え移らせ、よって、前記豊マンション二階建上下一二室の内、被告人方など合計四室(延べ面積約一三二平方メートル)を焼燬するとともに、右火災により、前記浴室内において、前記A、B、Cをいずれも全身第一、二度火傷により焼死させたものである。
(証拠の標目)<省略>
(補足説明)
第一 弁護人は、本件注意義務の内容を争い、建造物の焼燬や被告人の妻子の死亡という結果は、検察官主張の注意義務違反から生じたものでなく、その後に被告人が前記ポリタンクを屋外に持ち出そうとして運搬中に火が自己の身体に燃え移り、熱さに耐えきれず右ポリタンクを自宅六畳間に投げ出したことから生じたものであり、被告人の行為は単に過失と評価されるにどとまり、重過失とは評価し得ない旨主張する。そこで、当裁判所が、判示のとおり、検察官が第一回公判において変更した訴因につき、有罪と認めた理由を補足して説明する。
第二 関係各証拠によれば、次の事実が認められる。
一 建造物の状況
1 焼燬した前記共同住宅(以下、本件建物という。)は、木造カラーベスト葺二階建共同住宅(ラスモルタル塗)、建面積約二〇〇平方メートル、延面積約四〇〇平方メートル、各階とも六世帯が入居しており、被告人方は一階東端から四戸目で、妻及び子二人とともに生活していた。付近は家屋が密集している。
2 被告人方の構造は、南側に玄関があり、玄関を入ったところから、台所、四畳半間、六畳間と順次北に向って続いており、その奥東側に順次便所と浴室、奥西側に洗面所があり、その北側に西側の南北1.7メートル、東側の南北0.8メートル、北側の東西2.75メートルの逆L字型コンクリート土間があり、土間の北側は高さ1.62メートルのブロック塀で、その上に鉄格子の忍び返しが設けられており、その北側は他の建物が接しており、人、物の出入は全く不可能であった。土間の東側及び西側も同様のブロック塀が設けられており、更に土間の上は二階ベランダが突き出して庇の役目を果たしていた。したがって、土間は、風通しの悪い場所であった。浴室は、前記のとおり洗面所に面し、土間から数十センチメートルから一メートルのところにかけて存在するドア以外から出入りができない。浴室北側の土間に面したところに風呂の焚き口ガスバーナーがあった。土間内の西側壁面に添って、ガソリン約一五ないし一六リットル入りの容量二〇リットルのポリタンク(以下、本件ポリタンクという。)、その上にガソリン約二〇リットルの入った鉄製サブタンク、その近くに灯油約一八リットル入りのポリタンク二個が置かれていた。被告人方(土間を含める)は、屋外に人や物を出入りさせるには、南側玄関を通してのみ可能であった。
3 被告人は、以上の状況を概略認識していたものと認められる。
二 ガソリンの性質
1 ガソリン(本件において問題となっている自動車用ガソリン)は、引火点が極めて低く(マイナス四〇度C以下)、常温常圧下で蒸発し易く、ガソリンの蒸気は空気と混合すると、約1.4ないし約7.6VOLパーセントで爆発性混合ガスとなる。ガソリンの蒸気は、空気より三ないし四倍重いので地面をはってかなり離れた低いところにたまっていることがあり、また、低く遠くへ流れて危険範囲が広がり、風下の遠い火源から引火することがある。なお、ガソリンの蒸気は、風速二メートル以上の場合に拡散が速く、爆発限界内にある混合ガスの分布範囲は非常に狭くなる。ガソリンを取り扱う場所付近では、火気(裸火、電熱器、火花等)を厳重に取り締まり、通風を良くして、消火及び救急措置の準備をしておく必要がある。
2 実験室内(温度二二度C、湿度五六パーセント)において、逆L字型の屋根の開いた模擬構造物(幅約二七五センチメートル、奥行き約一七〇センチメートル、前記土間に類似したものを再現した。)の床に、被告人がガソリンの移し替えをした地点と想定される位置にポリ容器を、風呂の焚き口を想定される位置に、(一)、(二)はガソリン濃度測定の検知管を、(三)、(四)は点火したローソクをそれぞれ置き実験した結果は、次のとおりである。
(一) ポリ容器にガソリン0.5リットルをかけたところ、その濃度は、かけ始めてから約二分で0.5パーセント、約五分で0.7パーセントであった。
(二) 同様にガソリン一リットルをかけたところ、その濃度は、かけ始めてから約三分で0.9パーセント、約五分三〇秒で1.2パーセントであった。
(三) 同様にガソリン0.5リットルをかけたところ、かけ始めて約六分では引火しなかったが、ローソクを倒したところ引火した。
(四) 同様にガソリン約一リットルをかけたところ、かけ始めて約二分三〇秒で引火した。
3 被告人は職業運転手として、ガソリン類をよく扱い、ガソリンが灯油などよりはるかに揮発性が高く、危険なことを十分認識していた。そして、本件時、「(ガソリンの移し替えは)危いかな」という気もあって、風呂に入っている妻に携帯用ビニールポンプの所在を尋ねたが、玄関の外に出したことが分かり、自己が下着姿であったことから、玄関外に取りに行くのが面倒であるとして、結局、断念した。
三 火災の発生状況
被告人は、昭和六二年一〇月一三日午後八時過ぎころ、勤務先の軽四輪乗用車で判示自室に帰り、判示のとおり妻子らが入浴中であるのを知って、自己の入浴前に、右乗用車からガソリンを抜き取って自己の自動車用に使うことを思い立ち、玄関先に置いていたガソリン約3.5リットルの入った容量四リットルのオイル缶(以下、本件オイル缶という。)を空にして、これに抜き取ったガソリンを入れようと考え、本件オイル缶を持って前記土間に降り、本件オイル缶内のガソリンを既にガソリン約一五ないし一六リットル入りの本件ポリタンクに移し替えようとした。
その際、被告人は右移し替えの地点が、前記罪となるべき事実記載のとおりの周囲の建物の状況、風呂の焚き口との距離、種火点火中であること、妻子が入浴中であること、浴室の出入口、ガソリン類入れ替え用携帯用ビニールポンプの存在等を認識しながら、前記三段階の方法で入れ替えを行い、ガソリンを土間上に流出させて、前記種火の火を引火させ、判示罪となるべき事実に記載の経過をたどって、結果が発生した。
第三 以上の事実関係のもとで、注意義務の内容を判断するに、被告人が火の付いた右ポリタンクを屋外に持ち出そうとした行為は、妻子ら三名を救い出し火災の広がるのを防止しようと被告人なりに考えた上で狼狽の余りのとっさの行為であって、それ自体は、無理からぬところであり、その点を捕え、あるいは、その後の奥六畳の間で自己の右腕等に火が燃え移り本件ポリタンクを投げ出したことをもって過失を構成することは被告人に酷でありできないものといわなければならない。したがって、被告人に過失があるとすれば、右行動前の直近の段階でこれを捕えなければならず、そして当裁判所は、検討の結果、検察官の主張どおりの時点で、判示重過失があるのではないかと考え、更に翻って、その時点で過失を捕えた場合、ガソリンへの引火から、建造物の焼燬、妻子ら三名の奥六畳間付近ではなくて浴室内での死亡という結果発生に至る過程で法的因果関係があるか検討した。そして、一般に、被告人の行為が介在したとしても、結果発生が、当初被告人が認識し、又は認識しえた事実から考えて、予想可能な範囲内のものであるときには、介在行為は因果経路の一部として評価すべきところ、本件は、前記のとおりであり、被告人の行為の介在により前記過程における因果関係の存在が否定されるものではないと判断した。
次に、被告人の過失が重過失か否かを判断するに、重過失失火罪及び重過失致死傷罪における「重大な過失」とは、その注意義務違反の程度の著しい場合であること、即ち、建物等の焼燬や人の死傷という結果を、行為者としてきわめてわずかの注意を用いさえすれば予見することができ、従って結果の発生を容易に回避することができたであろう場合を指すものと解するのが相当である。
本件についてこれをみれば、ガソリン約3.5リットルの入った本件四リットル缶を逆さまにしてその注入口と本件ポリタンクの注入口を直接合わせて、中のガソリンを一気に移し替えようとするなら、相当量のガソリンが流出し、風呂の焚き口の方向にも流れだし、狭く風通しの悪い前記土間内で気化したガソリンが充満し、右焚き口の種火が引火し、それが本件建物の焼燬に至るおそれのあることは、通常人のみらなず被告人にとっても予見が相当容易であったものと認められる。また、本件建物が木造であること、土間の周囲が前記状況であること、危険性の高いガソリンを扱っていること、及び、壁を隔てているとは言え、わずか数メートルしか離れておらず、出入口も前記状況にある浴室内で被告人の妻子三名が入浴中であること等前記認定の各事情を、被告人が認識していたことが認められることから、本件建物の火災によって右三名が浴室内から逃げ遅れる等して死亡に至るおそれのあることは、被告人において予見が相当容易であったものと認められる。
さらには、本件建物の焼燬及び右三名の死亡は、前記携帯用ビニールポンプを用いてガソリンの入れ替えを行ったり、右焚き口の種火を消してから行ったりしたならば、回避できたものと考えられ、これはいずれも僅かの労をもって足りることであるから、通常人のみらなず被告人にとっても結果の回避は容易であったと認められる。
以上を総合考慮すると、被告人の行為は重過失と評価するのが相当と考える。
よって、弁護人の主張は採用することができない。
(法令の適用)
被告人の判示所為のうち、重過失失火の点は刑法一一七条の二後段(一一六条一項)、罰金等臨時措置法三条一項一号に、被害者三名に対する重過失致死の点はいずれも刑法二一一条後段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、右は一個の行為で四個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として刑及び犯情の最も重い判示Cに対する重過失致死罪の刑で処断することとし、所定刑中禁錮刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を禁錮一年に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。
(量刑の理由)
被告人の本件の行為は勤務先会社の車からガソリン抜き取りを企図したことを契機として、危険なガソリンを安易に取り扱ったという重大な過失行為であり、夜間、家屋密集地で現住建造物焼燬に至らせ、付近住民に不安を与え、生じた結果も重大(三名死亡、アパートの所有者、居住者等多数の人に八四〇〇万円以上の損害を与えていること)であり、被告人は何ら慰謝の措置を講じておらず、その刑責は重大である。しかしながら、本件で死亡したのは被告人の妻子であること、被告人は亡き妻子の供養を誓うなど深く反省しており、墓地を手に入れるため現在正業に努めていること、一部被災者が被告人を宥恕していること、及び被告人には前科がないことなど、被告人に有利な事情も合わせて考慮したうえ、主文のとおりの量刑をした次第である。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官榎本巧)